13.教会からの提案

　カレンが十歳を迎えたある朝のこと。

　邸の食堂に届いた一通の手紙が、静かな朝食の空気を一変させた。

　セオドア様は封を切ると、目を通したまましばらく固まっており、ナイフとフォークを置く音さえ響くほど、静まり返っている。

　私もカレンも、その険しい表情にただ息をのむしかなかった。

　やがて、セオドア様は苦しげに口を開く。

「カレンを預かると、教会が言って来ている。」

「えっ？」　

「魔力があるものは、十歳までに魔法を学びはじめなければならない。

　その期限が過ぎていると、教会から指摘されている。」

「えっ、パパ、それって、教会に通うっていうこと？」

　カレンは思わず椅子から身を乗り出した。

「いや、教会に住むということだよ。」

「えっ、この邸を出ていかないといけないの。

　嫌よ。」

　カレンは震える手で私の袖を掴み、必死に目を合わせてくる。

　その小さな瞳の奥に、恐れと戸惑いが混じっていた。

「ジャスミン、どうしよう。

　お父様、それって断ることはできないの？」

「私の方でもかけあってみるが、君はジュリアの娘だ。

　魔力を持っている以上、学ぶ義務がある。」

「そんな、私、本当に魔法なんて使えるの？」

「カレン様、幼い頃、ボール遊びをする時に、無意識にボールを操っていたのですが、覚えていませんか？」

「えっ、普通そうするでしょ？」

「いいえ、私にはできません。

　カレン様は自然に魔法を使ってらしたのですよ。」

「えっ、そうなの？」

　カレンは信じられないという顔で、セオドア様とポーラに視線を向ける。

　二人が静かに頷くと、彼女は唇を噛み、俯いた。

「カレン様以外は、ボールは手を使って受け取るしかできないのですよ。」

「そうなんだ。

　知らなかった。」

「カレン様にとっては自然なことですので、意識しないと気づかないものです。」

「セオドア様、カレン様が納得なさるまで、猶予をいただくことはできませんか？」

「多少の延期はできると思うが、ジュリアがいない以上、カレンに魔法を指導する者がここにはいない。

　残念だが、私には拒否することはできないんだよ。」

　その表情には、言葉にならない悔しさが滲んでいた。

　共に暮らす日々の中で、彼がどれほどカレンを愛しているか、私はもう疑っていなかった。

　だからこそ、その葛藤が手に取るようにわかる。

　カレンは黙ったまま椅子を引き、足音も立てずに自室へと戻っていく。

　私もセオドア様も、声をかけられないまま、その背を見送った。

　二度目の人生で知ったセオドア様は、娘を大切に育てる素敵な男性だった。

　身分差はあっても、一緒にカレンの成長を喜んだり、悩んだり、そんな子育てに彼は私を引き入れてくれた。

　時にはぶつかりながらも、カレンを理解するための努力を、どんな時でも続けている。

　だからこそ、カレンのその後ろ姿を私とセオドア様は、同じ思いで見送ることしかできなかった。

　前世、息絶える時、一番心配したのはこの瞬間だった。

　いつかカレンが魔法に向き合わないといけない時、その時にどう導くかで、彼女のその後の人生が変わってくる。

　義務として魔法使いになるのか、使命として受け入れるのか、そこに大きな隔たりがあることを私は経験からわかっていた。

　魔法使いは、魔法によって面倒なことも、煩わしいことも、大抵は避けることができて便利だし、生きやすい。

　さらに幼い頃から特権階級で、生活していく上での苦労を感じることはない。

　だが、人知れず命だって差し出さなければならない時がある。

　私には魔力があったけれど、セオドア様にはないから、彼女の葛藤を受け止めるのは難しい。

　だから、二人の間に、いつかこんな日が来ることは、ずっとわかっていた。

　カレンの指導のためを思えば、教会が勧めていたように、ユーリーを後妻に迎えていれば、カレンを指導することもできたであろう。

　だがセオドア様は、その道を選ばなかった。

　だからこそ彼は、この苦しみを背負わなければいけないのだ。

　その夜、私はカレンの部屋に呼ばれ、足を運ぶと、ランプの淡い光の中で、彼女は机に突っ伏していた。

「ジャスミン、あなたは私の魔力のことをずっと知っていたの？」

「はい、存じておりました。」　

「でも、ジャスミンにはないのね？」

「はい。」

「どうして私はみんなと違うと、早くから教えてくれなかったの？」

「私には魔力はありませんから、カレン様が悩まれても、導く術がないからです。

　必要になってから、理解すれば良いと思っていました。

　魔力はこの王国を守る大切な力です。

　皆のために、魔法使いが力を合わせて結界を張り、悪しきものの侵入を防いでいます。」

「それを私にもやれと？」

「はい、あなたのお母様もそうなさっておりました。

　私は大切な使命だと思っています。

　カレン様はどう考えますか？」

「うーん、まだわからないわ。

　他の道は選べないの？」

「ございます。

　けれど、あなたの力を求める声も確かにあるのです。」

「……わかったわ。

　そのために教会に行く必要があるのね。」

「はい、それに、魔法を使い使命を果たすかどうかに関係なく、魔力がある以上、学んでおいた方がカレン様の今後に役立つでしょう。」

「でも、一人で行くのは不安だわ。」

「はい、ですから私がご一緒します。」

「えっ、ジャスミンが？」

「はい、カレン様に毒味係がいることは、世間に広く知られております。

　ですから、私が同行しても許されるかと。」

　カレンはぱっと顔を上げ、少し笑った。

「そうか、だったら嫌じゃないかも。

　だって、たまに帰れるんでしょ？」

「はい、もちろんです。」

「そしたら私、魔法をちゃんと学ぶ。

　お母様もして来たことなのよね。」

「はい、カレン様、ご立派なお考えです。」

　彼女の瞳には決意の光が宿っていた。

　その瞬間、母としての私の胸は熱くなり、目に涙が浮かぶ。

　カレンと共に教会に行くだなんて、母としては過保護だけれど、あの事件の真相が明らかになっていない以上、カレンが狙われる可能性は残っている。

　その恐れがあるのに、一人で教会に行かせるなんて、私にはとてもできそうになかった。

　とは言え、今の私は魔力もない平民。

　だがそれも悪くない。

　誰にも怪しまれずに側にいられるのだから。